2008年9月5日金曜日

ZESCOとは何ぞや?

・・・・と、ザンビアをご存じない方々は思われるでしょう。
私も、何か知りませんでした。

ザンビアで仕事を始めて、早や3ヶ月。
こんなにこのZESCOとやらに悩まされるとは想像もしておりませんでした。

さて。ZESCOとは、ザンビア電力会社のことです。(東電、関電みたいな?)
モンボシで建設中のヘルスポストには、当然電気が必要です。
ありがたいことに、すぐ隣に建設されている小学校には電気が引かれておりますので、その電線を延長するだけ。
そう、少なくともセオリーでは。。。

建設も、最終段階に入ってからすでに数ヶ月。
いつまでたっても『最終段階』から『終了』までの一歩が踏み出せない理由がこのZESCOでした。
現場のインスペクションをした上で、見積もりを作成し、支払いが済み次第、
実際の電線延長作業をやってもらうだけ。そう、それだけ。
しかし、そこがなかなか難しい。
何故難しいのかが分からないから、もっと難しい。(涙)

建築を依頼しているASIGMA建設の社長にも、
大げさでなく何千回と電話を掛け続けるものの埒が明かない。
「ZESCOが動かない」、「見積もりを出してくれない」、「なぜかは分からない」、「車が壊れた」、「停電した」、「携帯にお金が無かった」等など。
びっくりするほど様々な言い訳が飛び出してくる。
次はなにかなぁ、と思わず期待してしまいます。

そして、ザンビアで一番多い言い訳が「お葬式」。
冗談じゃなく、一番多いんです。しゃれになりません(苦笑)

モンボシでは大勢の村人達がヘルスポストの開設を待ち望んでいるし、
せっかくやる気になっているヘルスワーカーさん達のイライラも最高潮。
なにより、私自身がもうこれ以上待っていられない!
(本当は、お金払っているのだから、ASIGMAの仕事だとは思いつつ)
    (待ちきれず、電柱用の穴をほり始め準備を進める村人達)


運良くJICAからの強力なサポートと橋渡しをしていただけることができ、
早速、ルサカにあるZESCO本社へ直接突撃。
ASIGMA建設の社長の首にも縄をかけ、
紹介していただいたシニア・マネージャーへ挨拶。
これまでの経緯と「何が問題なのかすら分からない」という状況を説明。
ふむふむとうなづきながら聞いていたと思いきや、
「ま、過ぎたことは忘れて。今から、現地調査に行ってきたまえ(にっこり)」

私「・・・・・・・(何か納得いかないけど)ありがとうございます」

ということで、指名された担当者の後について部屋を辞して数秒後。
当の担当者カソカ氏が、いきなり廊下すれ違った同僚の腕をつかみ
「彼と一緒に行ってきたまえ」
といって、そそくさと姿を消してしまったではないか。(←なぜか文語調)

途方にくれている同僚には申し訳ないが、堪忍袋の切れかけた私は、
「3ヶ月以上待たされているんだから、この際、誰でもいいから一緒に来てくれないと困る」と氷のような声で迫ったところ、この同僚(←名前も知らない)、
あわてて上司を探し出し「こんなアレンジ聞いてない!と」必死に直訴。
(あくまでもモンボシに行きたくなかったからですよ、皆さん。
決して、私のことが怖かったからではありませんよ。)

上司のブワリヤ氏と一緒に2分後に探し出したカフカ氏は、
のんきに菓子パンの最後の一口を食べているところ。。。
このZESCO担当者と言い訳チャンピオンのASIGMA社長の組み合わせ。
こりゃぁ、いつまでたっても話が進まないわけだ・・・と、すごぉく納得。(-_‐;)

上司に怒られたカフカさん。さすがに観念したのか、さわやかに言い切った。
「じゃぁ、そろそろ行こうか。(にっこり)」

って、お前がいうなぁー!と叫ぶのもばかばかしいので、
とにかく建築会社の社長とZESCO担当者の両方の首根っこを引っつかんで、
片道2時間の道のりを高騰するディーゼル代もなんのその、
ようやくモンボシまで引っ張ってゆくことに成功。

現場に到着し、待っていてくれたCHWさんに紹介し、建設中の関連施設の説明。
彼は気がなさそうに「ふんふん」と数回うなずくと、
「じゃぁ、電柱の番号控えるから」とすたすた歩いてゆき、
延長基の電線の登録番号4桁を書き取ると、「じゃ、帰ろうか(にっこり)」。

えええええええっ????
この3分のために、3ヶ月待たされてた訳ぇぇぇぇ?????
同席してくれたCHWさんと二人で思いっきり脱力しつつ、
「しかし、これで実際の工事に移れるなら・・・」と、
自分を慰めて家路についたのが8月22日の金曜日。

しかし、私だっていやみと皮肉に関しては引けは取りません。
「散々待たせた挙句に高いディーゼル代までこっち持ちなんだから、しっかりフォローアップもしてくれるんでしょうねぇ」と振り向きざまの氷の微笑。

プロジェクトの運営に予定は立たない。
さらになんだかんだと待たされた挙句ではありますが、
昨日午後、ようやく見積もりをいただいて参りました。
あぁ、ようやく一歩踏み出しました。(感涙)

「最終段階」から「終了」に向け、後もう一踏ん張り。
亀の歩みなザンビアですが。
がんばりまぁーす。
   (この穴に早く電柱が埋められますように)

2008年7月28日月曜日

月例 出張母子健康診断(チピモ)

7月25日

この日は、モンボシ地区における月例の母子健康診断(チピモ)の日。
チサンバ郡ヘルスセンターまで行けない母子のために、
看護師2名程が遠隔地へ出張し、妊婦の定期健診や赤ちゃんへの予防接種等を行います。

しかし、郡のヘルスセンターも予算不足のため、なかなか定期的に出張することができません。
そのため、昨年からTICOがプロジェクト実施地であるモンボシへの出張のために配車支援をするようになりました。


この日は、検診にきた母子の数は特別多くは無かったものの、
カルテの記載方式に変更がありいつも以上に時間がかかってしまい、
検診が終了したのは午後の6時半近く。
外は、もう文字も見えないほど真っ暗。

先月のチピモはちょうど満月に近かったため、
なんと村を出たのは19時過ぎであったにもかかわらずまるで蛍光灯を灯したかのような明るさでした。
とても幻想的で感動していたため、今回は懐中電灯を持っていかねばと思っていたのに、危機感が薄かったためか、すっかり忘れてしまっておりました。 (反省)

まさに「とっぷり」日が暮れてしまい、うーんこれはやばいかも。。。と思っていたところに、戸締りをしにきたモンボシ小学校副校長のチララ先生。
「あらぁ、あなたまだいたの?」と驚きながら教室に入ってきました。
彼女はいつも穏やかで、心配りの細やかな女性です。

少しほっとしながら
「今かたづけをして、そろそろ出発しないとなぁって思ってたんですよぉ」と答えると、
いつもの高いけれども落ち着いたやさしい声で、
「早く行ったほうがいいわよ。先月、やっぱり暗くなってから川を渡ろうとした男性がワニに襲われかけたから」


・・・・・・・・・・・・・・いや、いっそお宅に泊めてください。(涙)


この川。
数年前の洪水で橋が壊れてしまい、現在は建設中の橋の横に土嚢を積んだだけの仮橋状態。
最近、近くの商業農家が農業用水確保のために、一部上流をせき止めてしまったため、水かさも増し気味。

いつもはこの川と村の間の草刈のされていない野原を、皆でおしゃべりしながらのんびり20分程歩くのですが、この日は看護婦さんと荷物運びを手伝ってくれた村の女性と4人で黙々と。。。
どれくらい暗いかというと、これくらい…。(笑)

歩き出して5分もすると本当に真っ暗になってきたので、
携帯電話のライトで辛うじて足元を照らしつつ、ひたすら歩く歩く。
あぁ、LEDライト仕様でよかった。
発光ダイオード万歳!中村修二さん、ありがとう! (←ちょっと違う)

30分程して、ようやく橋に到着。
しかし、目前の真っ暗な川は、冗談抜きでワニが口開けて待っていそう・・・。

対岸で待ってくれている運転手のガバナーさんに川岸まで車で降りてきて、
ライトアップしてもらおうと電話をするも、当然つながらない。(涙)
無理だよなぁと思いつつ、だめもとで大声で(はい。私、声大きいんです)
ガバナーさんの名前を呼ぶものの、とにかく渡った方が早いと思い、4人で歩き始めたその時!
ディーゼルのエンジン音が!

名前だけで私がしてもらいたかったことを汲み取ってくれるなんて! 感動!
(状況から考えて、他にどうしようもないとも言うが…)
車高の高いランドクルーザーの正面からのライトでは、
目を射られて結局何も見えなかったという事実もどうでもいい! 
とにかく感激!
(実際、車に乗ってからは川と土嚢が良く見えたので、もしも我々がワニに襲われていたら、ガバナーさんには『人とワニのスペクタクル』が良く見えたことでしょう…。)

チサンバのクリニックまで送る予定であった火傷を負った女性と付添の3人も乗り込み、ようやく出発。時刻はもう19:00過ぎ。

大幅に遅くなった我々とは対照的に、なんとこの女性達。
13時からずぅっと、われわれが来るのを道端に座って待っていたという。
あぁ、悠久の都ザンビア。時間の流れのなんと緩やかなこと。
私も、泰然自若(これ以上?)とした、小さなこと(←ワニとか)には動じないような大らかな人間になりたいものだと感じた一日の締めくくりでした。

PLAトレーニングコース終了

7月24日

寒さはまだ残っているものの、日差しは刺さるように強いザンビア。
ここでの生活に、サングラスははずせません。
おかげで白黒反転したネガ・ポジ熊猫になってしまうのではないかと戦々恐々としています。。。

さて、6月にスケジュール等の都合上一時とまっていたParticipatory Learning and Action (PLA)のトレーニングが7月16日から8日間の日程で再開できました。

出席率もよく、モンボシ地域内にある村のCHW(Community Health Worker)さん達が、講義を受けながら、自分達の活動地域における現状分析、マッピング、これからの活動計画の作成等、非常に有意義な結果を出すことができました。


最終日。

8日間の講義、実習そしてその成果発表も終わり、
講師のシカゼ氏とTICOザンビア事務所代表の山本から修了証書の授与をすることに。
講師より「名前を呼ばれたら、歌って踊りながら証書をとりにくるように」という、 ザンビアならでは(?)の指示が下ったため、上手い人もそれなりの人も、恥ずかしがり屋もお調子者も、各自お気に入りの歌をのりのりで歌い踊り、全員が一緒に手拍子とコーラス。

証書もなかなか受け取らず、歌い続ける人が続出するあたり、
はっきり言って、こちらの方がメインかも…。と、写真を撮りつつ考える私。。。

とうとう腰に布を巻き、その先端を何度かこま結びにし…。名前を呼ばれた某村のCHWの女性と共に熱烈に「豊穣のダンス」(とでもいうのだろうか…)まで披露され、やんやの喝采。。。
ついさっきまで「家族計画」の重要さについて講義を受け、自らも発表していた訳ですから。
PLAコースの集大成とでもいいますか。(^_^;)


実際、ザンビアは、アフリカの中でもHIV/AIDS/STIの問題が深刻な国で、
モンボシ地区においてもHIV/AIDS/STIを優先課題のひとつに上げている村も多いのが実情です。
デリケートな問題なのですが、今回のコースや各地域での経験等を基に、CHWのリードの下、
率直に話ができる環境を作り、村ぐるみで積極的に対応を進めていってもらえればいいなと思います。(強引なまとめでしたかね。(笑))

2008年6月6日金曜日

ムテテカ国会議員 表敬

先日、ザンビアの国会議員であるムテテカ氏を表敬訪問しました。

彼は、我々のプロジェクトが動いているモンボシ地域の出身で、
本プロジェクトだけでなく、TICOの活動全般に関しても
当初より支援をしていただいている方です。

現在、モンボシのヘルスポスト(HP)に関しては、ほぼ完工したものの、
電気と水の設置が滞っており、保健局からのHPとしての認可を取り付ける作業へ進めずにいるのが現状です。

以上のような経緯も含め、これまでの支援に対する感謝とともに、
各プロジェクトの現状をアップデートし、更なる支援をお願いしてきました。

ムテテカ議員は、非常にTICOのプロジェクトを評価してくだっており、
非営利且つ人道的な活動であると言うことからも
電気に関しては電力会社に掛け合うと太っ腹に約束をしてくださり、
その他の問題や将来的なプロジェクトに関しても、
できる限りの支援を厭わないといってくださりました。

そして、早速「来週早々には電気関係の工事を進めるから」と連絡が!
やはりプロジェクトと成功の鍵はチーム力ですね。
少しずつでもネットワークを増やし・活かして、より良いプロジェクトを実施していきたいなぁとつくづく感じました。

2008年5月30日金曜日

CHW養成コース 終了

皆様、はじめまして。

この度、田淵先生に代わり、ザンビア事務所にてPHCプロジェクトを
担当、運営することになりました吉田純です。

さて、着任早々、イベント盛りだくさんの2週間でした。




まずは、ザンビア到着翌日
523日から、チサンバへCHW養成コースの最終日に、
自己紹介も兼ねてお邪魔しました。
6
週間の研修を終え、研修生の皆も少しリラックスした雰囲気の中、
さっそく昼食にメイズ(トウモロコシの粉)をこねて作ったシマも
一緒にいただきました。

そして、翌524日。
CHW養成コースの修了式が
モンボシのヘルスポストで開催されました。

JICAからも本件担当の菊地所員が出席してくださり、
村を上げての一大イベントとなりました。

モンボシ小学校の生徒たちによる歌や劇等もあり、
村の人びとも着飾って参加してくれました。




いよいよ研修生一人一人に修了証書を手渡される場面では、
彼らの奥様達も、歓声を上げながら抱きついたりと大喜び。
私も、帽子もかぶらずに夢中で写真を撮りまくっていたら、
即効で、顔はもちろん、首からシャツの襟ぐりまでくっきり日焼け。真っ黒に。
ザンビアに到着して、まだ
2日目なんですが…。(涙)

こうなったら、近い将来、避けようも無く浮き出てくるであろう「しみ」を隠すためにも
真っ黒になるしかないなと思う今日この頃です。

こんな私ですが、今後とも、プロジェクト共々よろしくお願いします。


2008年3月28日金曜日

出張検診中止

ヘルスポストがまだできていないので、モンボシではこれまでどおり月に一度「乳幼児/妊婦検診」がつづけられています。30キロ離れた保健センターからスタッフが出張して予防接種などを行います。

とはいうものの、バイクの燃料がないだの、途中の橋が流されただの(徒歩で渡ることは可能)、忙しいだの(予定は自分で作っておきながら)、保健センターはいろいろと理由をつけて中止にしてしまうことがよくありました。

TICOがモンボシで活動を始めてからは、そういういいわけをさせずに実施するべく、予定日に私の出張を合わせて、保健センターのスタッフをTICOの車で拾って何とか中止することなく続けてこられました。

今日も検診の予定日でしたので、保健センターに拾いに行くと、看護師ひとりしかいません。他のスタッフは出張中とのこと。「今日は人手が足りないので今月は中止にして、来月にまたやる」とのこと。慢性的に人手不足であることはわかりますが、出張検診が彼らの中で優先順位が低いのも問題です。予定していてもすっぽかして気にしない。私が立ち寄らなければ、検診が予定されていたことも誰も覚えていなかったということです。

300人のお母さんは、子どもをおぶって遠くから歩いて会場に集まって待っていたはずです。その労力と時間がまったく無駄になりました。

2008年1月30日水曜日

屋根がついた


ヘルスポスト建築は着実に進んでいて、ついに屋根がつきました。屋根がつくだけでぐっと立派なものに見えるのだから不思議なものです。写真は壁にセメントを塗っているところ。


建築現場の隣の学校を借りて、月一度の乳幼児検診/妊婦検診が行われていました。毎回300人以上の母子が押し寄せます。お母さんにとっては月に一度のハレの日ですので、母子ともよそいきの服でおしゃれしてきます。あまりの混雑ぶりに、体重測定を手伝っている住民ボランティアに声をかけるのもはばかられます。

2008年1月22日火曜日

壁がほぼ積み上がる


ここのところ、建築作業は目に見える形で進んでいっています。ヘルスポストと職員住宅は、壁のブロックがほぼ積み上がり、来週には屋根がつけられるだろう、とのこと。トイレも、便槽にふたをして床が作られています。
 橋が水没して3週間がたち、材料は遠回りをして運ばなければならない状況に変わりはありませんが、工事は大きく遅れることなく進んでいるようです。

2008年1月3日木曜日

仕事始めの悪いニュース


TICOザンビア事務所は今日が仕事始めでした。
別プロジェクト(コミュニティスクール支援)の資材運搬トラックに同乗して、建築の進捗状況を見に行こうかと思っていました。ところがいざ出発というところで、モンボシから電話があり「橋が水没した」とのこと。
 11月から雨季に入り、モンボシ川が渡れなくなるのも時間の問題とわかっていました。その前になるだけ多くの材料を運びたいと、請負業者は言っていました。Xデーが来てしまったというわけです。
 これまで車が渡っていたのは「橋」というよりは「土手」といったもので、土砂をつき固めただけのものでした。ですから雨季になって少し水位が上がると水没・流失してしまい、毎年恒例なのです。すぐ横にちゃんとした基礎のある橋を建築中なのですが、2年経っても完成していません。
 昨年は、徒歩で渡れるようになったのが3月、車が渡れるようになったのは5月でした。